2017年02月06日

本当は秘密にしておきたいけど、やっぱり読んで欲しい人間社会学科教員のオススメ本  第14回

書名:福翁自伝
著者:福沢諭吉
紹介者:日本語文化メジャー 古郡康人

 福沢諭吉は、天保5年12月12日(1835年1月10日)に生れ、明治34(1901)年2月3日に亡くなりました。明治元年(1868年)の以前と以後、ともに33年を生き、20世紀最初の年に歿したことになります。その著『文明論之概略』で、「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」と言ったように、徳川幕藩体制から明治天皇制へ、激動の転換期を生きた人生でした。晩年、亡くなる2年ほど前に口述した速記原稿に加筆訂正をして成立したのが『福翁自伝』です。自伝文学の傑作とされるその文章の語り口は次のようなものです。諭吉3歳の時に病死した父を哀惜する箇所です。

《父の生涯、四十五年のその間、封建制度に束縛せられて何事も出来ず、空しく不平を呑んで世を去りたるこそ遺憾なれ。又、初生児の行末を謀り、これを坊主にしても名を成さしめんとまでに決心したるその心中の苦しさ、その愛情の深き、私は毎度この事を思い出し、封建の門閥制度を憤ると共に、亡父の心事を察して独り泣くことがあります。私のために門閥制度は親の敵で御座る。》

 百年以上前の文章ですが、それほど読みにくくはないと思いませんか。
さて、幕末の武士たちは誰もが、勤王か佐幕かという二者択一を迫られましたが、福沢の立場は独自でしかも堅固なものでした。

《世の中の形勢を見れば、天下の浮浪すなわち有志者は京都に集まっている。それから江戸の方では又、幕府というものがもちろん時の政府でリキンで居るというわけで、日本の政治が東西二派に相分かれて、勤王・佐幕という二派の名が出来た。出来た所で、サアそこに至って私がどうするかというに、
第一、私は幕府の門閥圧制、鎖国主義がごくごく嫌いでこれに力を尽くす気はない。
第二、さればとて、かの勤王家という一類を見れば、幕府より尚は一層甚だしい攘夷論で、こんな乱暴者を助ける気はもとよりない。
第三、東西二派の理非曲直はしばらくさておき、男子がいわゆる宿昔青雲の志を達するは乱世にあり、勤王でも佐幕でも、試みに当たって砕けるというが書生の事であるが、私にはその性質習慣がない。》

 ペンは剣よりも強しで、言論の自由に西洋諸国の活力・文明の優位の源を見ていた福沢は、開国以外に日本の進路はないと冷静に判断して、勤王にも佐幕にも批判的だったことがわかります。そして、日本にはまだない欧米の法や制度を理解しようとする、わからないことをわかろうとする、その問題発見力・解決力はすこぶる徹底的です。

《党派には保守党と自由党と徒党のようなものがあって、双方負けず劣らずしのぎを削って争うているという。何の事だ、太平無事の天下に政治上の喧嘩をしているという。サァわからない。コリャ大変なことだ、何をしているのかしらん。少しも考えの付こうはずがない。あの人とこの人とは敵だなんというて、同じテーブルで酒を飲んで飯を食っている。少しもわからない。ソレがほぼわかるようになろうというまでには骨の折れた話で、そのいわれ因縁が少しずつわかるようになって来て、入り組んだ事柄になると五日も十日もかかって、ヤット胸に落ちるというようなわけで、ソレがこのたびの洋行の利益でした。》

 『福翁自伝』の魅力は、近代日本のこよなき先導者であった人物の、人間味にあふれ情理を尽くした明快な考えと行動に触れることができる点にあります。福沢と言えば洋学者の代表ですが、じつは幼年時に培った漢学の占める位置が大きいこと(「春秋左氏伝」を十一回読了!)、若年からの大酒飲みを恥ずかしいと言いつつ後悔はしていない微笑ましい率直さ、緒方洪庵先生への絶対的尊敬信頼の念の純粋さ、他に依りすがらないという独立自尊の気概が万事に貫かれている爽やかさ、等々、学識あり気品ある人間像の魅力満載といった感があります。『福翁自伝』は次のような念願を記して筆を置いています。現代日本でも未だ達成できていない、したがって今後もめざすべき指針だと私は思います。

《私の生涯の中に出来(でか)してみたいと思う所は、全国男女の気品を次第しだいに高尚に導いて、真実文明の名に愧ずかしくないようにする事と、仏法にても耶蘇教にてもいずれにてもよろしい、これを引き立てて多数の民心を和らげるようにする事と、大いに金を投じて、有形無形、高尚なる学理を研究させるようにする事と、およそこの三ヶ条です。人は老しても無病なる限りはただ安閑としてはおられず、私も今の通りに健全なる間は、身にかなうだけの力を尽くすつもりです。》

 『福翁自伝』は岩波・角川ソフィア・講談社学術の各文庫で読むことができます。同じく各種文庫に収録されている『学問のすすめ』もぜひ一読をお勧めします。



Posted by 静岡英和学院大学  at 11:22



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